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福島さん、自由を履き違えてはなりませぬ。 [怒事。呆事。]

 「思想・良心の自由は守られているか」(福島みずほ・社民党党首)
 
 予算委員会で、連日質問する日が続きました。3月23日は、日の丸・君が代国旗・国歌法について、3月27日は、憲法について、総理に質問をしました。

 日の丸・君が代国旗国歌法が、1999年に成立する際には、当時の野中広務官房長官は、「国として強制したり、あるいは義務化することはございません」「また、国民生活に何ら変化や義務が生じ、影響を与えるものではない」と国会で答弁をしています。しかし、成立した途端に学校現場には、凄まじい強制が起きました。

 本当に歌っているのかどうか、チェックをしている学校があります。歌う音量チェックをしている学校があります。東京都の教育委員会は職員を派遣して、学校のなかでチェックをしています。旗のほうに「注目」をしなかったことで調査がはいった先生がいます。学校現場は年々きつくなっています。

 法案成立後の処分がどうなっているか、という質問に対して、文科大臣は「公立学校の教職員に対する国旗掲揚、それから国歌斉唱の取扱いに係る訓告等を含む懲戒処分の件数は、国旗及び国歌に関する法律の成立前の平成10年には161名であったが、成立した11年度には96名、成立後の平成12年度には265名となっております」と回答しました。

 また、「公立学校における国旗掲揚、国歌斉唱の取扱いに係る懲戒処分は、そのほとんどが校長等の職務命令に従わなかったことによる職務命令違反の責任を問うものであると認識をいたしております」とも回答しました。

 しかし、処分をちらつかせて、踏み絵を踏ませるようなことをしておいて、そこに思想・良心の自由があるでしょうか。また、現場で起こっていることは、明らかに当時の野中広務官房長官の発言に反していることは明らかです。
北九州の裁判でも、判決で、教育委員会が教職員や児童生徒が起立して君が代を斉唱しているかを監督することは教育基本法が禁じた各校長に対する不当な支配にあたると判断しました。

 上から弾圧しておいて、魂の自由のないところに教育はあり得ません。国家が個人の内心に入っていくことは大問題であり、教育に公権力は入ってはならないのです。

 小泉さんは靖国神社参拝について「私にも心の自由がある」と言いますが、それは違います。憲法が保障しているのは、権力者の自由ではありません。
権力者の言動を縛ることによって、私たち市民の自由を確保させることこそを求めているのです。だからこそ思想、良心の自由を守ることは、国の責務なのです。

 27日の予算委員会では、引き続き、この点を首相に質問しました。
首相は「憲法にしても国家にしても、国民の権利を守ると、基本的人権を守ると同時に、その守るためには権力というものが必要なんですね。この両面が必要なんです。権利が大事であるということと同時に義務も重要であると。権力がなければ国民の安全は守れないんです。その辺の調整、よく考えないと、単なる国家が国民を支配するということだけじゃないんです・・・」と答えています。

 しかし、今、現場で起こっていることは、まさに権力によって強制され、権力が市民に保障するべき自由が壊されているのです。首相はこのことを直視していません。

 また自民党の新憲法草案には、今の日本国憲法から「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」という文章が削除されていることを指摘しました。なぜでしょう?なぜ、過去の戦争への反省と再び戦争を起こさないという未来への決意が削除されているのでしょう。

 何を子ども達に伝えるのか、私たち大人に問われています。教育という未来をつくる現場では、子ども達、親たち、先生たち、来賓の人たちが国歌国旗を強制され、自由が壊されています。その背景には、歴史を直視して伝えていくのではなく、国家の都合のいいように歴史をかえていく動きがあり、その動きは子どもたちが学ぶ教科書の記述に表れています。

 過去の戦争では、国家神道が強制され、思想良心の自由が壊された上に成り立ちました。だからこそ、同じことを繰り返してはなりません。今の自民党の憲法草案のように、国家が私たちの心に入っていくような憲法にしてはいけません。権力者の言動こそが縛られ、思想信条の自由をはじめ、市民の権利や自由を確保する今の憲法をしっかりといかしていきたい。そのために、みなさんと力を合わせていきましょう。

★福島みずほ ホームページ http://www.mizuhoto.org/

拝啓、福島みずほ殿

『自由』
なんと響きが良く、都合のいい言葉でしょうか。
福島党首の頭の中では、自由を叫べば規律を破ることも許されるようですね。

いつも一方的な立場からの『自由』しか聞こえてこないようですが、
あなた方の主張を押し付けることは思想・良心の自由に反さないのでしょうか。
あなた方のそうした奇異な行動が子供たちにどんな影響を与えるのか、
それを考えてみてはいただけませんか。
思想や良心の自由はもちろん保障されています。
しかし、公の場に、『場を乱す自由』はありません。
それを認めてしまったら、秩序が崩壊します。
集団行動ではまず『秩序ありき』、なのです。

福島さん、教育とは何だと考えますか?
そもそも教育とは、『自由』を教える場ではありません。
公式の場でなぜ、国旗を掲揚し、国歌を斉唱するかの意義を考えたことがあるでしょうか。
国際人を育てるとは、自由を履き違えることではありません。
まず、『自国民としての自覚』
それなくして国際人が育つはずもありません。

人を教え、育てる。それが教育です。
今の教育現場に必要なのは道徳や規律ではないでしょうか。
規律の無いところに人が育つでしょうか。
自由を尊重しすぎた結果、教育が崩壊しているのではないでしょうか。

教師が率先して規律を破る。
それがどういう弊害があるのか考えたことがあるでしょうか。
あなた方の行いは、
『思想や良心の自由を言い訳にして、
身勝手な思想を押し通そうとしている』
に過ぎません。
そちらの方が明らかに子供たちに思想の強制をしているとは思えませんか?

子供には、まず規律を教えることが肝要です。
それが教育の第一歩で、そこに理由は必要ありません。
私はそれが教育というものだと考えます。
特に、小学生らに対しては教師が手本となり、規範を示す必要があります。
そこで教師がルールを破ったらどうなるでしょう。
少しは考えてみてください。
規律すら守ることのできない人間に、教師としての資格はありません。

だいたい公務員は命令に従うことが法律で義務付けられていますよね。
弁護士の貴方には釈迦に説法でしょうけれども・・・。

自分たちの主張ばかりを通そうとし、国民を見ていない。
それが今の社民党議席数に表れていることにまだ気付きませんか?
国民を代表する政治家を標榜するなら、まず、日本国民でなくてはなりません。

最後に一言、
規律なくして自由なし。

敬具

お時間がありましたら以下のエントリーもご笑読ください。
教科書・国歌・国旗に対する『市民』の心情は理解不能だ
カメムシが人に見えるほど君が代が嫌なら教師を辞めてはどうか?


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コメント 4

ファイブ

まあ..馬さん鹿さんですから(笑)どうしようもないんでしょうね。
by ファイブ (2006-04-10 11:52) 

Mer-C

>ファイブ様
コメントありがとうございます。
思考停止に陥っちゃってるんでしょうね。
きっとパブロフの犬状態。
by Mer-C (2006-04-12 13:13) 

ウラヌス

初めまして

いかなる国家、組織、団体、集団でも「自由と責任」「権利と義務」の両輪は
常にバランスよく保たれいないと崩壊してしまいます。
あの人達の主張はいつも(自分達の)「自由と権利」しか声高に言っているだけなので聞いてるだけでうんざりしてきます。
by ウラヌス (2006-04-13 07:22) 

Mer-C

>ウラヌス様
コメントありがとうございます。
冷静に自分を見つめる事ができないんでしょうね。
ハタから見れば、ただのお馬鹿さん。
そう考えるとちょっと哀れなヒトタチです。。。
by Mer-C (2006-05-02 14:43) 

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